in SHIBUYA
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in HARAJYUKU
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BRAINET ART Exhibition 2009 COMPLEX×COMPLEX
feat.Yoko Watanabe
展示会開催にあたって
日本では一般的に「COMPLEX」というと、殆どの人が「劣等感」と訳すのではないだろうか。少し英語をかじった事がある方なら「複雑」とか「ごちゃまぜ」とか、そんな風に訳すかもしれない。しかし実際に英語圏で、この「COMPLEX」を使用する場合、この言葉は純粋に「二つ以上のつながっている要素により構成された」という意味あいが強い様に感じる。むしろ「互いが支えあっている」という意味を持つ場合もあるようでネガティヴさはほとんどない。
そういう訳で、今回の展覧会のテーマ「COMPLEX」も、ネガティヴな意味を持つものではない。しかし敢えて日本人が思う所の「劣等感」などの意味も強く打ち出してみようと「COMPLEX×COMPLEX」の表示にした。「裏×表」である。
この様な難しいテーマを今回は、人形作家であり以前より人間の複雑怪奇な心理と劣等感の上に成り立つ、強烈にゆがんだ「個性」と「きらびやかさ」を表現し続けている、渡辺葉子に挑戦して貰った。
混沌とした妄想世界から生まれる「美しき物」とは?
渡辺葉子独特のデカダンスな妄想世界から生まれるスパングラーな作品たち。それらはそれぞれの存在に各々意味を持たせようと必死に存在する。
どこか私たちの一部の現実世界に似てはいないか・・・
「悪」は「善」を生み出し、「醜」は「美」を生み出す。そしてまた「美」を崩したがる。何度も繰り返されるスパイラルの中で、独特の光りを放ったものだけが残されていく。渡辺葉子の作品が多くの人のを魅了するのは、その独特の光りのせいなのかも知れない。
また、今回はEGO≒ECOをサブテーマとしたい。
こちらは「裏と表」か。
人間のEGOの結果として導きだされたECO。
ECOもまたEGOに成りかねない。またどちらも人間の中に複雑に入り組んで存在し、人間を生かすのに共に必要なものである。EGOは劣等感の顕れでもあり、ECOはその進化した行動であり、この2つの感情は共に支えあって初めて存在意味をなす…とても複雑な関係である。
美の誕生とそれを壊していくデカダンスな世界。それらの繰り返しの中、時には流され、時には立ち止まり考える、私たち自身が構成する複雑な世界。
ここから抽出された、テーマである「COMPLEX×COMPLEX」またはEGO≒ECOから、自分の時代のアートや思想のあり方を感じて欲しい。
Producer イチカワ清士
2009年魔夜峰央先生のコミックス「パタリロ!」シリーズが遂に100冊を突破!その『パタリロ!』文庫版の表装を手がけてきたのは、他でもない渡辺葉子である。今年は魔夜先生の作家生活において記念すべき年である事から、その活動に敬意を表して渡辺葉子が手がけた表装作品を初展示する。
彼女がデビューして間もない1994年から現在に至るまで、約15年間造り続けてきた数々の作品たちもまた、彼女の芸術の一遍と言える。
初期の制作方法からの成長変換を伺い知れる事はもちろん、その細やかな成形や丁寧な仕上げから、決して手を抜く事のない、彼女の真摯な作品づくりの姿勢が見て取れる。
『パタリロ!』とは
1978年初掲載以来、現在に至るまで描き続けられている、魔夜峰央著(白泉社)の長編少女マンガである。バミューダトライアングルの真ん中に存在する常春の国マリネラ王国を舞台に、その国王パタリロが、側近のタマネギ部隊やイギリスMI6の少佐バンコランやその愛人マライヒ等を巻き込んで起こす騒動を描く。単なるドタバタギャグ漫画ではなく、練りに練ったストーリー展開や、小説並みのミステリーやシリアスプロットの高さ、ギャグ作品の懐の広さを生かしたジャンルを越えた多彩な内容などが、長年支持される所以でもある。1970年代、少女漫画界では耽美的な少年愛を題材に取り上げることが流行したが、これをコメディに取り入れたことでは先駆者的な作品である。


